高校野球発祥の地、豊中グラウンドとは?

このサイトでは、これまで消えた球場シリーズとして、次の球場を紹介してきました。

大阪球場
中百舌鳥球場
京阪グラウンド

今回は、高校野球発祥の地として知られる「豊中グラウンド」を紹介していきたいと思います。

◎豊中グラウンドとは?

高校野球の聖地といえば、どこを思い浮かべますか?

そうですよね。

兵庫県西宮市にある阪神甲子園球場です。

誰でも分かりますよね。

しかし、現在の「夏の甲子園」、全国高等学校野球選手権大会の前身である全国中等学校野球大会の記念すべき第1回大会は、阪神甲子園球場で開催されたわけではないことを知っている人は少ないのではないでしょうか?

では、第1回大会は、一体どこで開催されていたのでしょうか?

その答こそ、大阪府豊中市にあった「豊中グラウンド」になります。

豊中グラウンドは、1910年(明治43年)に開通した箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)が、沿線の集客のために、1913年(大正2年)に建設した球場になります。

赤レンガの外壁に囲まれたグラウンドは2万平方キロメートルにも及び、当時、日本一の設備を誇っていたそうです。

ちなみに、第1回大会の参加校は10校。5日間の熱戦の末、京都府立第二中学(現在の鳥羽高校)が優勝しました。

まさに、豊中グラウンドは、高校野球発祥の地となったのです。

◎豊中グラウンドの跡地

当時、関西では、野球人気がすごく、豊中グラウンドにも、たくさんの観客が詰めかけました。

しかし、観客が多すぎたため、豊中グラウンドで収容することができなくなり、1917年(大正6年)の第3回大会以降は、兵庫県の鳴尾球場に移されることになりました。

豊中グラウンドでの、高校野球の開催は、わずか2回だけに終わったのです。

その後、1924年(大正13年)の第10回大会からは、現在の阪神甲子園球場で開催されるようになりました。

豊中グラウンドは、1921年(大正11年)頃までは、高校野球の大阪大会の予選などに使われていたようですが、大正時代が終わる頃には、取り壊され、跡地は、住宅街に変わりました。

2018年となった現在でも、豊中市の跡地には、豊中グラウンドの外壁の一部と思われる赤レンガが残されています。

1988年(昭和63年)には、豊中グラウンドの正門の向かい側に「高校野球メモリアルパーク」を建設しました。

この「高校野球メモリアルパーク」が、2017年(平成29年)に、「高校野球発祥の地記念公園」として、リニューアルオープンしたのです。

この公園には「高校野球発祥の地」というモニュメントが建てられています。

◎大阪から消えるグラウンド

大阪で消えた球場は、多いです。

・大阪球場
・中百舌鳥球場
・藤井寺球場
・日生球場
・京阪グラウンド
・豊中グラウンド

かつて、関西では、多くの私鉄が球団を所有していました。

それが、今では、私鉄に関しては、阪神だけになっています。

大阪ドームができたこともあるのでしょうが、土のグラウンド自体が減っていくのは寂しい限りです。

どんなに小さい不便な球場であっても、さまざまな思い出はありますので…。