天王寺から消えた南海路線は南海天王寺線だけでなかった!

南海電車が連絡していない天王寺駅で、なぜ南海そばが営業されているのか、私はずっと不思議に思っていました。

そこで、以前、私は、南海天王寺線に関する記事を書きました。
天王寺に南海そばが!消えた南海天王寺線とは

冒頭の疑問に対する回答として、上記の記事では、南海天王寺線の存在を挙げました。

しかし、天王寺駅に乗り入れしていたのは、実は、南海天王寺線だけではなかったのです。

◎南海平野線とは?

1914年(大正3年)、阪堺電気軌道(阪堺線)の平野支線ということで、南海平野線が開業しました。

阪堺線の今池駅(西成区)から分岐し、平野駅(平野駅)までを結ぶ、5.9Kmの路線でした。

現在の阪神高速14号松原線にほぼ沿った形で、今池駅から平野駅までを結んでいました。

厳密には、南海平野線の今池駅は、現在の阪堺線今池駅よりも100mくらい南に位置しており、南海平野線の平野駅は、現在のJR平野駅や谷町線平野駅とは別の場所に存在していました。

南海平野線の開業は、農村地帯だった周辺地域を住宅地へと変えていきました。

1929年には、天王寺駅と平野駅の直通運転も開始することになり、南海平野線は、大阪市中心部と大阪市南東部を結ぶ交通手段として、重要な役割を担っていました。

しかし、1951年、それまで天王寺が終点となっていた地下鉄御堂筋線が、昭和町駅まで延伸されたことで、南海平野線の人生は大きく変わってしまいました。

昭和町駅は、南海平野線の文ノ里停留場にとても近かったため、乗客の多くが、昭和町駅で乗り換えるようになり、南海平野線の乗客が激減していったのです。

さらに、1980年には、大阪市が、南海平野線の路線のほぼ真下に沿った形で、地下鉄谷町線の天王寺駅と八尾南駅の路線を開業させました。

阪神高速14号松原線も建設されたことで、南海平野線は、その役目を終え、1980年11月、66年の歴史に幕を閉じることになったのです。

◎南海平野線の跡地

南海平野線の終点となっていた平野駅。

そこは、行き止まり式の2線ホームで、開業当時からの歴史を伝える八角形の屋根の駅舎となっていました。

かなり特徴的な駅舎だったため、地元では、存続や保存の要望が持ち上がっていましたが、実現することなく、南海平野線の廃止とともに、駅舎は解体されることになりました。

その後、平野駅の跡地は整備され、現在は「プロムナード平野」という公園に変化しています。

公園の近くにある商店街は、今もなお、「平野南海商店街」という名前になっています。

公園のベンチや遊歩道には、南海平野線の線路跡などが描かれており、南海平野駅は、地元住民から愛されていたことが分かります。

南海平野線は谷町線に、南海天王寺線は堺筋線に、それぞれ役割を奪われて姿を消しました。

しかし、沿線の住民の心の中では、この2つの南海線は、今もなお、生き続けているのかもしれません。