もし、千日前線と泉北ニュータウンがつながっていたら…

泉北ニュータウンが、少子高齢化の流れを受けて、昔の輝きを失いつつあることは、次の記事に書きました。(あぁ、哀愁の栂・美木多

そして、大阪地下鉄千日前線。言わずと知れた、ピンク色をイメージカラーとする地下鉄です。

千日前線は、野田阪神駅から南巽駅まで、大阪市内の大都会を走っているにも関わらず、どこか哀愁を漂わせています。

この千日前線と泉北ニュータウンが、その昔、つながる予定があったことをご存知でしょうか?

◎千日前線の闇

千日前線は、大阪市内・大阪の繁華街を走っているにも関わらず、電車は4両編成になっています。

乗客が少ないので4両編成になっていると思われますが、どの駅もホームは大きいので、計画上は、多くの乗客を見込んでいたのでしょう。

例えば、日本橋駅を思い浮かべてください。

ホームの端のほうは、未使用部分になっており、電気を消して暗くなっているのを見たことがあるのではないかと思います。

谷町九丁目駅はいかがでしょうか?

日本橋駅と同様、駅のホームの中で使われていない部分は、資材置き場になっており、電気は消されています。

もうひとつ、終着駅となっている野田阪神駅はいかがでしょう。

2番線ホームは未使用であることが分かります。

このように、千日前線は、現在、とても元気のない路線になっています。

さらに、ライバルである近鉄難波線が、阪神なんば線との直通を開始したため、千日前線はさらに苦しい立場となることが予想できます。

◎千日前線が泉北に進出していたら…

昭和38年頃の話です。

堺市の泉北ニュータウンに交通網を作る計画が考えられていました。

最有力の案は、御堂筋線を延伸する案でした。

しかし、他にも、国鉄阪和線を分岐させる案や、南海高野線を分岐させる案、千日前線を延伸する案があったのです。

結論として、御堂筋線でもなく、南海高野線でもなく、大阪府が自前で会社を立てて、自前で鉄道をつくることになるのですが…。

ここで、面白いのは、もし、千日前線が延伸していたら、今頃、泉北ニュータウンはどうなっていたのかということです。

まず、泉北高速鉄道はありません。

千日前線が、松原付近を南下し、美原、北野田(狭山?)、泉ヶ丘、栂・美木多、光明池、和泉中央…と、大阪南部を縦断することになっていたでしょう。

千日前線が泉北延伸となっていた場合、ここからは、完全に、私の仮定と想像の話となります。

・泉北高速鉄道の運賃が高いイメージが存在しなくなるので、泉北住民の満足度が高まっていた
・近鉄と重複路線となり元気を失っている千日前線が、独自色を出して、大阪南部の幹線となっていた
・大阪市内から、北野田・狭山へ行く人が増えるため、さやま遊園地が存続していた
・泉北ニュータウンから、鶴橋、なんば、野田阪神まで一本で行けるので、泉北住民の満足度が高まっていた
・御堂筋線のなかもず駅が存在しなくなるため、大阪府立大学のキャンパスが今とは別のところに移転していた

仮定の話なので、なんとも言えませんが、もし、千日前線の延伸が実現していたとしたら…。

現在、元気のない千日前線と泉北ニュータウンは、今以上の賑わいを見せていたのでしょうか…。