日本最古のため池「狭山池」よりも古い池が大阪に存在していた!

日本最古のため池が、大阪狭山市にある「狭山池」であることは、結構知られているのではないかと思います。

しかし、その狭山池よりも、はるかに昔、古事記や日本書記の書かれた時代に、大阪にため池が存在していたことは、ほとんど知られていないのではないでしょうか。

今回は、日本最古のため池の正体に迫ります。

◎依網池とは?

依網池(よさみいけ)。

これが、古事記と日本書紀に記述されている日本最古のため池です。

残念ながら、現在、その姿を拝むことはできません。
(このため、依網池は、記述のある日本最古のため池だと言われています。)

依網池は、3世紀頃、崇神天皇の時代に、灌漑目的で大阪のある場所に作られました。

写真もないので、実際にその時代に依網池が存在していたという証拠はありませんが、日本書紀の記述を正とすると、依網池こそが、日本最古のため池であると言ってもよいのではないでしょうか。

依網池は、現在の狭山池よりもずっと広いものでしたが、水深はかなり浅かったと言われています。

水不足に悩んでいた付近の農家にとっては、依網池は、なくてはならない重要な水源でした。

しかし、江戸時代(1704年)、大和川ができたことにより、依網池に水が流れてこなくなり、依網池は少しずつ縮小していき、最終的に、姿を消すことになってしまいました。

◎依網池の跡地

では、姿を消した依網池は一体どこに存在していたのでしょうか?

そして、依網池の跡地は、現在、どうなっているのでしょうか?

大和川に水を奪われたことから、依網池は、大和川の近くに存在していたことは容易に推測できます。

地下鉄御堂筋線の陸上を走るあびこ筋。

このあびこ筋と大和川が交差する場所から、東に数百mの地点に、阪南高校があります。

この阪南高校と大和川の間に、「庭井2号公園」という小さな公園があります。

小さな砂場もある、この敷地の片隅に、「依網池跡」という石碑が建っているのです。

ここが依網池のあった場所であり、おそらく、阪南高校の運動場こそが、かつての依網池だったのでしょう。

依網池は大和川の出現により、少しずつ面積を減らしていきましたが、末期には、味右衛門池(みえもんいけ)、庭井の池と名前を変えて、ほそぼそと存在していたようです。

最終的に、昭和40年代に、庭井の池がなくなったことで、依網池は完全に消滅したことになりました。

以前、紹介した河内湖といい、今回の依網池といい、昔の大阪は、巨大な湖や池で占められていたようです。

時代とともに、灌漑対策も変化し、現在の形が出来上がりました。

池や川だけをとって見ても、歴史というのは面白いものです。