天王寺に南海そばが!消えた南海天王寺線とは?

天王寺。

現在は、日本一の高さを誇るビルでとなった「あべのハルカス」を中心として、若者で賑わう、大阪を代表する街に成長しました。

その巨大ターミナルの端には、今も「南海そば」がひっそりと営業しています。天王寺には南海電車は乗り入れていないはずなのに、なぜ、南海そばが営業しているのでしょうか?

さらに、JR天王寺駅の一番南側(Mioの横)にひっそりと佇む暗闇の空間。そこには、何か駅跡のような空洞と線路跡のようなものを確認することができます。

これらは一体、何を意味しているのでしょうか?

◎南海天王寺線の歴史

かつて、JR天王寺駅の南の外れには、南海電鉄の天王寺線という路線の電車が発着していました。

電車はたったの1両。天王寺から天下茶屋の間を走るわずか2.4キロの短いローカル線でした。

南海電鉄は、昔からずっと難波駅を大阪のターミナルとしてきました。

しかし、JR大阪環状線の存在も大きく、新たに相互接続を図るため、1966年には新今宮駅を開業し、特急以下全ての列車を停車させることにしました。

ところが、このことが、今まで天王寺駅で国鉄線(現JR)と接続していた南海天王寺線の運命を大きく変えてしまったのです。

新今宮駅の開業により、天王寺線の乗客は激減していきました。

1984年、南海天王寺線は今池町駅と天下茶屋駅の間の路線が廃止され、天王寺駅と今池町駅のたった1駅区間だけが残ることになります。

同時に、南海天王寺駅は今池町駅寄りに移動を余儀なくされ、南海本線や南海高野線とは別のレールにされてしまいます。

おまけに、1993年3月4日、動物園前が終点となっていた地下鉄堺筋線の天下茶屋までの延長が、南海天王寺線の乗客減にトドメを刺すことになりました。

これにより、南海電鉄の大阪方面への地下鉄進出は夢に終わり、南海天王寺線は、堺筋線の全線開通から1ヶ月と経たない1993年3月31日に廃止されることになったのです。

◎現在の南海天王寺線


その悲しき線路跡は、大部分がフェンスで囲まれた空き地となっていて、現在もフェンスの間から様子を見ることが可能です。

南海天王寺駅のあった場所は、現在は、大規模商業施設Mioに生まれ変わっています。廃線となる直前の頃の仮設駅のような駅跡は、Mioの西側の暗闇の空間に存在しているような気もしますが、中を確認することはできません。

堺筋線は、現在もたくさんの乗客が利用している路線ですが、もし、これが天下茶屋駅まで開通していなかったとしたら…。

今頃、南海天王寺線の緑色の列車は天王寺の街を駆け巡っていたのでしょうか。

そして、南海電車の大阪梅田への進出は実現していたのでしょうか…。